合格体験記〜第5章〜

富山限定で就活を行うとなれば、かなり情報量が少ない。
また、大きな企業も少ないだろう。
私は決して就職に関しては妥協したくなかった。
勤めたくないところで働くくらいなら、就職浪人でもしたかった。
(もちろん、家族が許せばの話であるが…)
どうすれば興味のある会社を見つけることが出来るだろう、どうすれば希望の会社に内定をもらえるだろう。
公務員試験の勉強で忙しいながらも、その不安は広がるばかりだった。

ある日、大学の研究室で勉強していたとき、部屋の本棚に『同窓会名簿』があるのに気が付いた。
これは、この学科の歴代の卒業生がどこの出身か、どこで勤めているかなどが載っている。
これは大きな発見だ。
富山県出身の卒業生は、果たしてどんなところに勤めているのだろう。
徹底的に調べ上げてみた。

やはり、県庁や市役所などが多い。
富山という田舎であれば、大きい会社に勤めることは出来ないのだろうか…。
そう思った矢先だった。
私の部活の先輩の名前を見つけた。
同じ富山県の出身である。
民間企業…それも造園関係だった。
私は植物専攻であったことから、少なからず興味はあった。
早速、アポを取って会うことになった。
OB訪問…私の就職活動はこれをきっかけにスタートしたのである。

富山の就職関係の情報も入手でき、民間企業を選定する上で大いに役立った。
先輩の会社については会社訪問だけに留まったが、チャレンジした会社としては製紙業、農機業、製薬業と広い分野に手を出してみた。
少しでも興味を持つところがあれば、会社説明会に行ってみた。
これだけでも雰囲気を直に感じられるし、自分にとってのプレッシャーになる。
少しは自分を追い詰めた方がいい。
私はそう思っていた。
その反面、こうも考えていた。

「自分は大学院生なのだから、その名目だけで学部生に負けるわけがない。落とされることなど、あり得ない。」

元々、私は自信家であるが、ここまで考えていたのである。
ところが現実はそう甘いものでもなく、受験した会社は全て不合格。
就職活動の厳しさを思い知らされた。
後輩は既に内定をいくつも取ってきていた。
研究室で進路が確定していないのは、ついに私だけになってしまった。

いったい何が悪かったのか…今までのことを反省してみた。
思い当たる点としては、次のことが挙げられる。
まず、会社側が大学院生を欲しがるかどうか。
よほど素晴らしい人材でなければ、高い給料を出してまで雇おうとはしないだろう。
院卒は大卒より給料が高いのが普通だ。
だから、院生は学部生より就職活動で目立たなければならない。
また、履歴書にも多少、問題があったかもしれない。
やはり自分の本命でない会社は志望動機に強みが現れなくなるもの。
こじつけで書こうとしても、なかなか上手くいかないものだ。
仮に書けたところで面接でボロが出るに決まっている。

結局のところ、受験した民間企業は全て失敗に終わった。
滑り止めくらいで、どこかには引っかかるだろうという考えは甘すぎた。

最低限の進路も決まらぬまま、国家I種の試験が始まろうとしていた…。


第6章へ続く〜☆